その昔、イタリア・フランスは世界の中でも養蚕大国として君臨しておりました。両国は国内で生産した繭を使って、シルク生地を織り上げ、ブラウスやワンピース・ドレスと言った絹製品を生産して、世界に輸出しておりました。この衣料品がイタリア・フランス両国にとっては、外貨獲得の大きな柱となっておりました。しかし、1863年(文久3年)頃に、フランスの養蚕は微粒子病と言うカイコの病気が蔓延して、養蚕業は壊滅状態に陥りました。日本政府としても援助の手を差し伸べるべく行動に出ました。それが蚕種贈与でした。
当時、我が国のカイコの種は輸出の重要品目となっており、日本の外貨獲得の良産品となっておりました。しかし、窮地に陥るフランス養蚕を救済すべく、日本政府としても大変貴重な蚕種を贈ったのです。フランス皇帝は窮地の蚕糸業を救ってくれたその御礼として、日本に選りすぐりの名馬26頭を贈ってきました。その後、1853年にはフランスの繭生産高は史上最高の2万6千トンに達しました。生糸生産高は2千200トン(3万7千表)に上がり、蚕糸絹業はイタリアの水準にまで回復して、外貨獲得に大きく貢献いたしました。この逸話は日本とフランスの架け橋として今も語り継がれております。